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◆8/6
くものすカルテット5年ぶり3枚目のアルバム『ワルツ横丁』のレコ発ライブ。
ゲスト唄姫は、吉田日出子さん!
デコさんは、上海バンスキングの衣装で来てくれた。
歌うのは、「あなたとならば」と「りんごの木の下で」の2曲の予定だったが
当日、お願いしてもう一曲歌っていただいた。
それは、
「マリーAの思い出」
この唄は、僕の「美式天然」のエンドロールでも歌っていただいている。
その時と同じく、アカペラで。
リハーサルの時、
歌うデコさんの横顔を見つめながら、
色々な事が思い出されて、僕は思わず泣いてしまった。
◆ちなみにこの日の僕は、オヤシラズが腫れてしまったのでマスクを着用して臨んだ。
その頬は、宍戸錠以上だった。宍戸2錠ほどだ。
「マスクをしていても、ピアニカは吹けるのだ」という事実でした。
(撮影は全て、井桁裕子さん)
◇昭和村の隣町(三島町)で「アリア」特別上映会&演奏会をした。
応援団の方々が一丸となって実現して下さった。
お忙しいのにも関わらず、県内各地から馳せ参じて下さり、
会場設営に、受付に、と動いて下さる。
昨年から、協力して下さっていた方々が一同に会し、立ち働いている姿に、
熱いものが込み上げる。
急な決定だったのに、100人程の方が来場してくれた。
感謝感激。
上映&演奏の様子を書いて下さっていた方があった。
↓
http://www.tif.ne.jp/jp/ati/ati_disp.php?id=6523
写真で見ると、演奏が上手そう。
◇いまや(第二の故郷の一つ)になりつつある三島町の西隆寺に
今日もご厄介になる。
ヌエの鳴く声を聴きながら
食べて呑んで、気がつけば空が白んでいた。
締めは、Eさんのハモニカです。
◇昭和村経由で帰京。
廃校へ立ち寄ると......
校舎とイチョウの木に、「早く撮影に来なさいよー」と言われる。
◇今回も、
教育委員会のFさん宅に、全員で泊めてもらってしまう。
だが、夕方からは再び雷雨になるらしい。
◇からむし織の里へ立ち寄り、お世話になった皆さんに挨拶。
いざ帰京の途。
と、車のメーターを見ると、ガゾリンがほぼ空だ。
どのルートを通っても、峠を越えなければならないので、給油せねば帰れない。
村に二軒しかないスタンドへ向かう。
一軒目。
本日休業。
二件目。
休業ではないらしいのだが、誰もいない。
新手のセルフ?とも考えたが、
野菜販売所じゃないんだから、と思いとどまる。
隣接しているお宅がスタンドの持ち主らしい。
玄関の扉を叩くが生態反応なし。
仕方ない。
待つか。
道を挟んでの川を眺めて15分経過。
空でトンビが笑っている。
ついに、Fさんへ(助けて電話)を。
「あ~、祭りに行ってんだべ。ちょっと待ってろ」と
電話は切れた。
15分後、
軽トラックがやってきた。
運転席から、汗だくのおじさん登場。
無事、給油。
◇廃校へ立ち寄る。
先日立ち寄った時に割れていた窓が、直っていた。
今年、解体されるのに...
長万部の映画館を想い出して、ちょっと泣きそうになる。
校舎の向かいで畑の草取りをしていたおじいさんと話す。
「このイチョウは、
校舎が出来た時の、記念で植えられたんだよ」
と。
そうか。
この校舎と共に、ずっと一緒に年をとってきたのだ...
そして、イチョウだけ残るのか...
体育館のあった場所で、ねむの木が花を咲かせていた。
黒い蝶々たちが、蜜を吸っている。
そうか、あなたは(ねむの木)だったんですね。
去年までは、体育館と寄り添っていたけど、今年からは一人です。
この夏には解体されてしまうプールにお別れをし、帰京。
◇某月某日
昭和村の(からむし織の里フェア)で演奏してきた。
※(からむし織の里とはhttp://www.showa-karamushi.com/)
くもカルの4人(僕、ヴァイオリン、ギター、ベース)に加え、
本職のチンドン屋さん(月島宣伝社)堀田ご夫婦にも同行して頂く。
◇この日は、会津若松の県立博物館経由で昭和村へ行く事になっていた。
しかし、連休初日のこの日の東北道は、鼻血が出そうなくらいの大渋滞。
いつもは20分とかからない距離が、120分...
予定の時刻を1時間以上過ぎて、会津若松到着。
県立博物館で、三島町のEさんと落ち会い、館長さん達にご挨拶。
「ハーメルン」への協力を快諾して頂く。
駆け足で、博物館のバックヤードも案内してもらい、 いざ昭和村へ。
◇昭和村へ近付くにつれて、
さっきまでの快晴が嘘のように一転俄かに掻き曇り...
稲光が!
大粒の雨が!
風が!
◇出番の30分前、すべりこみで昭和村到着。
演奏会場は、(からむし織の里)の野外ステージ。
到着したときは、
YAEさん(加藤登紀子さんの娘さん)が歌っていたのだが、お客さんがいない!
と思いきや、
お客さんは、ステージ両脇のテントの下にいた。
なぜならば、
◇という訳で、出番。
ステージから客席を見渡すと、不思議な感じ。
お客さんは両端にいるので、中央には誰もいない。
中央のその先には、霞のかかったお山があるだけ。
その山々に向かって演奏してるような感じ。
それは、とても良い気分。
福島市のEさんもギターを抱えて駆けつけてくれた。
堀田夫婦の素敵な音に助けられ無事終了。
村の方達にも楽しんで頂けたようで嬉しい。
◇さて夜だ。
バーべキューだ。
美味い酒だ。
となれば音楽だ!
祭では30分の演奏だったが、
その3倍位演奏してしまう。
楽しい夜が更けていく。
(つづく)
◆某月某日
フランスから友達が来た。
正確には、友達の友達。
ある日、
パリの(ヴィクトリアさん)からメールが届いた。
(ヴィクトリアさん)は、
フランスで『アリア』が上映された時に知り合った監督さん。
「友人が日本へ行くから会ってやってくれ」と 。
その友人とは、
フランスの映画編集者(スヴェトラーナさん)。
かつて、森田一義氏も言っていた。
「友達の友達は皆友達だ」
「いーよー」と即答したものの、僕はオンリースピークジャパニーズ。
そこで、(トメックさん)に通訳をお願いした。
トメックさんとは、2007年のワルシャワ映画祭で僕の通訳をしてくれた方で、
今は東大の学生で東京在住!
トメックさんも 、「いーよー」と即答してくれる。
ならば!とディナー会場もトメックさんちにさせて頂く。
ここまでで3人しか登場していないが、 すでに色々な国が登場している。
まず、スヴェトラーナさん。
生まれがロシア(サンクトペテルブルグ)で、その後NY、今はパリ。
ヴィクトリアさんは、
生まれがウズベキスタンで、その後イスラエル、今はパリ。
トメックは、ポーランドだ。
更に、
スヴェトラーナさんは、彼氏と一緒にやって来たのだが、
その彼は、奇遇な事に、ポーランド人だった。
あぁ、せめて英語が話せれば...、
いや、せめてポーランド語が
いやいや、ロシア語が、フランス語が...
でも、楽しい夜だった。
トメックさんが、お好み焼きを作ってくれたのだが
トメックさんの奥さんルイザさんが、
僕よりも適切に、(大阪)の食文化について力説していたのが面白かった。
女優のサンドリーヌ・ボネールさんが監督した
『彼女の名はサビーヌ』がある。
http://
◇仕事の都合で六本木へ行った。
できれば行きたくない街だが、仕方ない。
僕の中の六本木...それは、
【シネヴィヴァン六本木】と【WAVE】がある街。
そして、ガラス屋のビルの地下に、
壁も天井も床も真っ黒に塗られた芝居小屋【自由劇場】がある街。
今では、東京国際映画祭開催の時期にだけ行く街だが、
その時は必ず、
「ここにWAVEが」
「ここに神社が」
「ここに怪しげなお屋敷が」と
自分の中の記憶の地図を確認しながら通り過ぎる。
◇そんな事を思いながらの帰り道。
中野の五差路にさしかかって思わず、ぅわあ~~~~!と叫んでしまった。
中野光座が......
無い。
『美式天然』が、まさかのクランクアップを迎えた場所が...
小松政夫さんが、弁士役を熱演して下さったあの場所が...
これで、『美式天然』の中に出てくる映画館が、二つとも消えてしまった。
『掌の小説/日本人アンナ』で使わせて頂いた横浜の映画館も、
一年後に再訪したら、駐車場になっていた。
◇この三月、
弘前のKさんから、残念なニュースを知らされた。
「高山稲荷神社の鳥居倒壊」
『アリア』で撮影させて頂いた、青森県高山稲荷の波打ち際にたっていた鳥居だ。
2006年1月のロケハン時、
僕らが立っていられない程の猛烈な風の中でも、びくともせずにいたのに...
再建されるとのことなので、一日も早い復興を願わずにはおられない。
◇そして今、『ハーメルン』を撮っている。
メインの撮影場所は、廃校である。
撮影終了と同時に解体される事が決まっている。
昨秋、一足先に体育館が解体され、その部分の撮影は終えた。
僕ができる事は、フィルムに残す事だけ。
「古いものを全て保存しろ~」と言っている訳ではない。
時が移ろう限り、それはある程度、致し方のないこと。
それに、
小さな自治体や、ましては個人だけで維持するには、荷が重過ぎる。
でも、
消える場所はひとつだとしても、
その場所に関わる記憶は、おそらく数え切れない程あるだろう。
ある場所が消えるという事は、
その場所と共にあった記憶も消えていくこと。
人は忘れていく生き物。
史跡かなにかで無い限り、代が変われば、確実に薄れていく。
僕は、そんな消えていく場所に、「ありがとう」を言いたいだけだ。
僕よりも、はるかに年上の場所が、誰にも顧みられることもなく、
「お疲れさま」も「ありがとう」も言われずに、日々消えていく。
消えていくのはしょうがない事だとしても、
せめて大きな声で、「ありがとうございました」を言いたい。
◇西隆寺にて、2時過ぎまで呑む。
数十人が二十人に、二十人が十人に、十人が数人になった頃、
裏山の方から、「キーン」という淋しげな音がきこえた。
Eさんが、トラツグミの声だと教えてくれる。
初めて(ヌエ)の啼く声を聞いた。
硝子の笛を吹いているような、なんとも言えない声。
聞き惚れていると、窓の外を誰かが通った!!
尻尾の先が縞々。
どうやら、アナグマらしい。
「皆様、お邪魔しております」と呟きつつ、
梁のツバメと一緒に就寝。
◇6時きっかり、お寺の鐘で起床。
美味しいお粥を頂く。
サックスみのさん&渡辺ベース氏は、6時半に一足早く出立。
残りの3人も、
「また帰ってきまーす」と手を振りつつ、昭和村へ向かう。
◇昭和村へは、どのルートを行っても峠越えの道。
どこもかしこも、素敵な風景。
秋に通ったときは、あまりの美しさに気絶しそうになりました。
途中、いくつも湧き水がある。
その内のひとつで喉を潤しつつ、昭和村へ。
◇昭和村の現小学校へ行き、昨日お会いした校長先生を訪ねる。
校長室で美味しいコーヒーを頂いていると、
昨日の三島町へもいらして下さったOさんが、奥様と息子さんを伴なって来てくれた。
Oさんの奥様は、オーストラリアの方。
くもカルで、オーストラリアと言えば、ワルツィング・マチルダ!
そこで、
小学校の食堂にあった古いピアノを伴奏に、くもカル三人で歌う。
◇そして廃校へ。
今回は、新緑の中の姿。
(現)校長先生を囲んで一枚。
映画撮影の時は、(元)校長先生も交えて撮りましょうね。
撮影予定地でもある湧き水の場所へ。
至る所で岩が剥き出しになっている、オフロードな道を行く。
車の底を何度も擦りながら、ようやく辿り着く。
Oさんが先導してくれなかったら、今頃僕らは行方不明になっています。
この湧き水の場所がまた素敵だった。
険しい道の先にあるだけの事はあります。
苔むした岩の斜面から迸る水が、見るからに美味しそう。
素敵な場所だが、
機材車でここまで来るのか...
うーむ、大変そう。
◇校長先生とO夫婦は、一日じゅう付き合って下さった。
最後は、(走りやすい道)に出るまで先導してくれた。
ありがとー。
なぜなら、
◇東北道をひた走り磐越道へ。
会津坂下でおり、三島町へ。
とうとうと流るる只見川に沿って町へ向かう。
只見川の水面を霧がおおっている。
なんとも幻想的な風景。
案の定、素敵なお寺だった。
本堂の天井には、ツバメがたくさん住んでいる。
裏の山では、タヌキがウロウロ。
只見川に面した温泉につかり、美味しいそうめんを頂き、気がつけば早や夕方。
本堂に、ぞくぞくと人が集まってくる。
三島町だけではなく、
昭和村から、会津若松から、郡山から、猪苗代から、
この日のために、わざわざ東京から戻ってきた若者も。
嬉しい。
この一年、
それぞれの場所で、個別にお会いしていた方々が一同に会している。
当初からお世話になっている昭和村のFさん。
会津若松のSさん。
郡山のHさん。
昭和村小学校の校長先生や、
福島市から駆けつけてくれた方も...。
まだ始まっていないのに、
なんだか嬉しくて泣きそうになってしまう。
◇会は、
僕の拙い話と、くもカルの演奏を交互に織り込みながら進む。
僕は、完全に舞い上がっておりましたが、
ヴァイオリン片岡さんの話術と、くもカルの演奏に助けられつつ無事終了。
◇そして、宴。
近所の方が持ってきて下さった胡瓜。
裏の畑でとれたカブ。
ニシンと山椒の和え物。
どれもこれも美味しいお料理。
そして、美味しいお酒!!
だって、酒蔵の方が来て下さったんですもの。
大吟醸を持って!
そりゃ美味いさ!
◇素敵な人たちを、こんなにも巻き込んでしまった。
明るい意味で、もう後戻りできない。
いや...戻れと言われても戻りません。
本堂で一緒に寝た、ツバメの一家に誓いました。
◇有難い事に、記事にしていただいた。
◆七夕だ。
しかし、
僕の生まれ育った北海道の町では、旧暦の八月七日が七夕だ。
毎年、七夕の時期になると想い出す。
北海道では、七夕の日の夕方になると
友達と集まって、皆で(ある唄)を歌いながら家々をまわる。
大人たちに「集まれ」と言われる訳でもなく。
毎年、当たり前のように。
その唄は、
【♪こと~しゃ豊年 たなばたまーつり ろうそく一本 くーださいな♪】
というものだ。
しかしこの唄、
隣町へ行くと、ぜんぜん違う。
歌詞はもとより 節回しも変わる。
不思議だ。
いつか調べたい。
と思ったら、
ここにも載っていた。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%82%BD%E3%82%AF%E3%82%82%E3%82%89%E3%81%84
町の人々は、玄関先でこの唄が聞こえると
子供達が手にした袋の中にお菓子と、仏様にあげるような小さいロウソクを入れてくれる。
この時期になると、スーパーには(ロウソクもらい用コーナー)が設けられ、
お徳用のお菓子とロウソクが並ぶ。
僕が小さかった時は、手作りの提灯を提げて歩いた記憶もある。
この話を、北海道以外の友人にすると必ず
『ハロウィンみたいだね』と言う。
子供の頃は、ハロウィンなんて知らなかった。
でも、ハロウィンという名のお店はあった。
そのお店は、
『美式天然』の映画館の正面にあったりなんかした。
◆近所の幼稚園にも、七夕飾りが飾られて、子供達の願い事が書かれた短冊がさがっていた。
色々な願い事が書いてあるその中に、
【お星様へ。いつも僕の家のまわりを回ってくれてありがとう】
と言うのがあった。
いぃねぇ。
みんなまとめて元気であれ!

